氷解

日々の思考を垂れ流すゴミ箱

フェミニスト()はなぜ嫌われているのか

お久しぶりです。

今日はフェミニスト()がなぜ世間にここまで嫌われているのか、どう活動すべきなのかについて私見を述べようと思っている。まあブログなんて私見しかないんだけども笑

 

1,フェミニスト()はなんでこんな嫌われているのか

結論から言うと、フェミニスト()が世間で嫌われている最大の原因は生産的な活動を行っていないからだと思っている。本来あるべき姿のフェミニストと区別するために後ろに括弧を付けてみた。
 
例えばLGBTに配慮して身体的性別に関わらず結婚やパートナーシップを認めて欲しいとか、結婚時の選択的別姓を認めて欲しいとかの活動は、賛否両論あれどとりあえず価値ある意見として世間で議論の土俵に乗ることができる。
しかし最近話題になったフェミニスト()の活動といえばファミリーマートの「お母さん食堂」という名前をやめろ、献血自衛隊募集広告・街頭広告で性的側面を強調した表現をやめろ、少年ジャンプの編集者の素質として「少年の心」が分からなければいけないという発言を撤回しろ、など枚挙に暇がないが、これらは全て誰かが行う活動を否定し潰そうとするだけの活動に他ならない。上記のような表現が採用されている背景には、多くの人々に伝わりやすく共有しやすい価値観だったり、広告としての集客性だったり、商品の方向性に対する信念だったり、それぞれそれなりの理由があるはずであり、差別主義の思想表現のみを理由としているものはそうそうないだろう。
それなのに単に気に入らないからといって背景事情を全部無視して署名活動やら抗議のメール・電話が殺到するのは企業からしてみればたまったものではない。何かを潰そうとするなら相応の代案を提示したり発生しうる悪影響の合理的説明を試みたりするのが議論の土俵に立つためには不可欠であり、それをせずに個人の意見を押し付けるのでは母親にワガママを言う子供と一緒である。おっと、これも「子育ては母親だけがするものという旧時代的な差別意識を前提とした表現であり撤回すべき」と叩かれてしまうだろうか?
 
結論として、本来あるべきフェミニストの活動とは生産的なものであるべきということだ。世の中の出る杭を自分の物差しで決めて、片っ端から叩いて回るのは生産的ではない。出る杭が本当に出ているのか、叩く必要性があるのか、他の杭を伸ばす解決策ではダメなのか、一つ一つ考えた上で理性的な活動を積み重ねていくべきだと思っている。
 

2、活動家の意見

私はYoutubeでAbemaTVのチャンネルの動画をよく見るのだが、こんな特集があった。
 
ここでは小島慶子氏が議論の最初に以下のような前提を述べている。
「この中に性別によって人が差別されても構わないと考えている人は手を挙げてください。いない?であれば、皆さんはフェミニストです。」
私はまずこの時点で「ん?」と思った。
Wikipediaによれば、フェミニズムとは『性差別に影響されず万人が平等な権利を行使できる社会の実現を目的とする思想・運動』のことを言うらしい。この定義からすれば確かにみんながフェミニストだと言えるが、それではあまりフェミニストという用語を用いる実益がないのではないかと思うし、既に凝り固まってしまっている「フェミニスト=害悪」のイメージを払拭しない限り、このような言い方をされると「消極的賛成の層もまとめて取り込もうとしている」「フェミニスト()の活動に反対しにくい状況を作り出そうとしている」圧を感じるのは無理もないことだろう。
 
とにかく、こうした動画から分かることとしては、フェミニストの正確な定義・活動を知れば知るほど世間にはびこるフェミニスト()は真に認められるべきフェミニストではなくただの男性嫌悪者なのではないかということだ。まず男性嫌悪者がフェミニストの皮を被って珍妙な意見を述べている現状を把握し、彼ら・彼女らをフェミニストと明確に切り離して考えられるようにならなければ、フェミニズムに関する論争は進展しないのだろうなと思っている。
 
今日はこんな感じで。