氷解

日々の思考を垂れ流すゴミ箱

作品を楽しむには「バカ」になれ

こんばんは。ヒグラシです。

 

皆さんは小説、マンガ、アニメ、映画、音楽…様々な作品を鑑賞する際に「昔はもっと心動かされる作品がたくさんあったのに最近はそういう経験が少ないな」と思うことはありますか?この疑問に対する有名な解答として『湾岸ミッドナイト』という作品の以下のシーンが挙げられます。

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私はこれは真理だと思っていて、どんな時代でも楽しいもの、面白いもの、名作と呼ばれるものは生まれていると思います。そういったプラスの感情があまり感じられなくなっていくのは、決して作品の質が時代とともに衰えているからではなく、自分の作品を楽しもうというスタンスが無意識のうちに変わっているのかもしれません。

 

 

これは個人的な考えですが、私は作品を見たり読んだりする時は意識的に「バカ」になるように心がけています。

素直になる、楽天的になると言い換えてもいいかもしれません。

 

日々名作と言われる作品を数多く見たり読んだり聴いたりしていると、それがどんなに素晴らしいものであってもだんだんと人は慣れていきます。仮に同じ展開・面白さの作品が二つあったとしても、一つ目より二つ目の方が感情を動かされることが少なくなります。

「この性格のキャラはこの後こう動くんだろうな」「このギャグ前にもどこかで見たことあるな」「こいつはラストで死にそうだな」「このコード進行の曲はあの曲に似てるな」みたいに展開が読めるようになってきます。これは多くの作品を楽しんでいる人ほど顕著で、記憶がある以上は必然だと思います。だからこそ「記憶を消してまた見たい作品」というキャッチコピーが付いたりもします。

 

展開を予想できてしまうと、作品の世界観に入り込みにくくなり、冷めた視点で物語を見るようになり、作品の粗を探すようになり、面白い所よりつまらない所が目立って見えます。

だからつまらなく感じます。

穿った見方をやめて、目の前の物語を素直に受け入れようとすることが大切です。

時には作品のチープさ、つまらなさすら受け入れて楽しもうとする心持ちが必要です。セレンディピティ(偶察力)というやつですね。

 

あともう一つ。

これは私も未だに囚われがちなのですが、人の評価を気にするのは良くないです。

今はインターネットが発達して、SNSやブログや動画サイトに、他人の感想や考察が溢れています。作品に対して自分なりの意見をしっかり持っている人が、他の人の意見を知って「ああ、そんな考え方もあるのか」「この演出は気づかなかった」というように見識を広めるために情報を収集するのは大いに結構ですし、「この作品はみんな面白いと言っているから見てみようかな」というように新たな作品に出会うきっかけとして使うのは私も良いと思います。

ですが、「あの作品はみんなつまらないと言っているから見なくていいかな」「私は面白いと思ったけど、みんなつまらないって言っているし、確かにつまらないのかも」とマイナスの側面で情報に振り回されていることはありませんか?

 

周りの評判に踊らされて自分が素敵な作品に出会う機会を潰してしまうことも、周りの評判に流されて自分の感じた面白さまで嘘だったんじゃないかと思ってしまうことも、本当にもったいなくて悲しいことです。

 

私がこのブログを書いている理由の一つにも、作品を見て思ったことを自分の言葉で表現する場という側面があります。

 

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました~