氷解

日々の思考を垂れ流すゴミ箱

『星座になれたら』から読み解くぼ喜多の尊さ

あけましておめでとうございます。ヒグラシです。

2023年はTVアニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」第2期を全力で応援していきたい、そう思わせるくらい衝撃を受けた作品でした。寒くなってきた時期にとびきりアツい青春を見せてもらった気がします。

 

そんな中、ぼざろ最終話が昨年のクリスマスイブの24時にAbemaTVで放送されたわけですが、Aパートのライブシーンは素晴らしかったですね。ハイクオリティな演奏シーンを一曲見せてくれるバンドアニメは最近増えてきましたが、たっぷり尺を使って複数曲を繋ぎまで見せてくれるアニメは自分は見たことがなかったので、その丁寧さに脱帽しました。ぼっちちゃんの心情描写も相まって、自分が目の前で実際に見ているような、リアルタイムに進行していくライブ感・没入感を体験できたところが良かったです。

 

今回はライブで演奏したうちの二曲目「星座になれたら」を考察していきたいと思います。

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まずは歌詞から。

もうすぐ時計は6時
もうそこに一番星
影を踏んで 夜に紛れたくなる帰り道
どんなに探してみても
一つしかない星
何億光年 離れたところからあんなに輝く

いいな 君は みんなから愛されて
「いいや 僕は ずっと一人きりさ」

君と集まって星座になれたら
星降る夜 一瞬の願い事
きらめいて ゆらめいて 震えてるシグナル
君と集まって星座になれたら
空見上げて 指を差されるような
つないだ線 解かないで
僕がどんなに眩しくても

もうすぐ時計は8時
夜空に満天の星
何億光年 離れたところにはもうないかもしれない

月が綺麗で 泣きそうになるのは
いつの日にか 別れが来るから

君と集まって星座になれたら
彗星みたい 流れるひとりごと
消えていく 残像は 真夜中のプリズム
君と集まって星座になれたら
切なる願い 誰かに届いたら
変われるかな 夜の淵を
なぞるような こんな僕でも

遥か彼方 僕らは出会ってしまった
カルマだから 何度も出会ってしまうよ
雲の隙間で

君と集まって星座になれたら
夜広げて 描こう絵空事
暗闇を 照らすような 満月じゃなくても
だから集まって星座になりたい
色とりどりの光 放つような
つないだ線 解かないよ
君がどんなに眩しくても

 

「ギターと孤独と蒼い惑星(ほし)」や「フラッシュバッカー」の歌詞「まるで星屑みたいだと」もそうでしたが、ぼっちちゃんは宇宙や星を題材にした曲が多い気がしますね。私も好きです。

宇宙を旅するぼっち

 

1 ぼっちちゃんから喜多ちゃんへのメッセージ説

この曲はぼっちちゃんが喜多ちゃんに向けて書いた歌詞という解釈がしっくりくる気がします。「僕」がぼっちちゃん、「君」が喜多ちゃんですね。

 いいな 君は みんなから愛されて
「いいや 僕は ずっと一人きりさ」

 みんなから愛され、ちやほやされる喜多ちゃんを見て、ぼっちちゃんは「自分とは違う」と思ってしまう訳です。

みんなに優しい喜多ちゃんは、ぼっちちゃんにも声を掛けてくれますが、「僕はずっと一人きりさ」と答えます。

 

君と集まって星座になれたら
星降る夜 一瞬の願い事
きらめいて ゆらめいて 震えてるシグナル
君と集まって星座になれたら
空見上げて 指を差されるような
つないだ線 解かないで
僕がどんなに眩しくても

そんな憧れの存在である喜多ちゃんと一緒にバンドをやって、キラキラした世界を見たい、ここはそんなぼっちちゃんの気持ちが表れていると思います。「星座」が結束バンド、 「つないだ線」はぼっちちゃんと喜多ちゃんの絆ですね。「僕」が「君」の眩しさについていけず、陰になってしまっても手を離さないで欲しいと願っています。

 

君と集まって星座になれたら
切なる願い 誰かに届いたら
変われるかな 夜の淵を
なぞるような こんな僕でも

二番のサビです。「切なる願い」はぼっちちゃんの願い、つまりぼっちちゃんがバンドをやる理由である「みんなの結束バンドを最高のバンドにしたい」(アニメ第8話)ですよね。

そうすればこんな僕でも輝けるかもしれない。

「夜の淵」の意味が難しかったんですが、「淵」には中心から離れた所という意味の他に、水の流れがゆるやかで深くなっているところという意味もあるそうです。夜の中でもひと際暗く、流れがよどんだ場所にいる自分でも輝けるだろうか、という意味だと思います。

 

2 喜多ちゃんからぼっちちゃんへのメッセージ説

さて、そんなぼっちちゃんから喜多ちゃんへの熱いメッセージのような曲ですが、私は逆に喜多ちゃんからぼっちちゃんへのメッセージという解釈もアリだなと思っています。作品の設定上、歌詞を書いているのはぼっちちゃんですが、歌うのは喜多ちゃんなのでそのような解釈も個人的には素敵だなと思います。

喜多ちゃんはみんなに愛される人気者ですが、喜多ちゃん自身は少し複雑な思いも抱えています。勉強も運動もできて人望もあって、カラオケも得意な自分だけど、どれもそこそこ止まりであり、ぼっちちゃんのように特別な才能はない。そんな自分を変えて、バンドでみんなと同じ夢を追ってみたいと思い、結束バンドに入ったが、ギターが上手く弾けずに逃げ出してしまった。でもぼっちちゃんは自分の努力の才能を認めてくれて、再び結束バンドに誘ってくれた。

この曲は喜多ちゃんが自分を認めてくれたぼっちちゃんへ宛てた曲と考えることができるのです。

いいな 君は みんなから愛されて
「いいや 僕は ずっと一人きりさ」

このセリフは、ぼっちちゃんに憧れの存在と思われている喜多ちゃんの独白とも解釈できます。特別な才能がない自分は一人では何者にもなれない、一人きりだ。

君と集まって星座になれたら
星降る夜 一瞬の願い事
きらめいて ゆらめいて 震えてるシグナル
君と集まって星座になれたら
空見上げて 指を差されるような
つないだ線 解かないで
僕がどんなに眩しくても

でも、人を惹きつけるギターの才能を持ったぼっちちゃんとなら、特別な何かになることができる。だから僕が眩しく見えたとしても、距離をとらないで一緒にいてほしいという喜多ちゃんの願いのようにもとれますよね。

君と集まって星座になれたら
切なる願い 誰かに届いたら
変われるかな 夜の淵を
なぞるような こんな僕でも

ここは、特別な何かが見つけられないまま暗い夜の淵をさまよっている自分でも君となら特別になれるのかな、という心情ですよね。

 

 

以上、自分なりに二つの視点から「星座になれたら」を解釈してみました。やっぱりキーになるのは

「いいや 僕は ずっと一人きりさ」

というセリフが誰のものかという点ですよね。私はここに解釈の余地を残していることに、歌詞の深みがあって味わい深い曲だなあと思います。

 

3 補足

余談ですが、この曲には意味がありそうでなさそうなフレーズが散りばめられているのが少し不思議でした。ですが、以下のように懐かしい曲のタイトルから引用しているのかもしれないと思いました。

「夜の淵」・・・RADWIMPSの楽曲(2019)

「遥か彼方」・・・ASIAN KUNG-FU GENERATIONの曲(2003)

「カルマ」・・・BUMP OF CHICKENの曲(2006)

ぼっち・ざ・ろっく!の原作者はまじあきさんや、「星座になれたら」の作詞提供をしてくださった樋口愛さんは、20代後半~30代前半くらいだと思うので、丁度これらの曲がリリースされた年代が青春時代に重なっていることからきているのではないでしょうか。夜の淵は2019年と最近ですが、この曲は2011年の東日本大震災から8年のタイミングで被災者の方に向けて書かれた曲とのことだったので、一応挙げさせていただきました。

他の曲も見つけた方がいらっしゃいましたら、コメントなど宜しくお願い致します。

 

それでは。

 

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