氷解

日々の思考を垂れ流すゴミ箱

性善説か性悪説か

みなさんお久しぶりです。ヒグラシです。

今回私が思考のゴミ箱に投げ込むゴミとして選ばれたのは表題のテーマになります。ブログ開設一発目の自己紹介記事でコンセプトを「なるべく面白く」とか言っておいて、久しぶりに来たと思ったらこんなクソつまんなそうなもん持ってきやがってと思った方も多いでしょう。いやそもそもこのブログを見てる人なんていないから多くないでしょうか。でもたまたま思いついたので書きます。意味は特にないです。

 

本題ですが、「性善説」「性悪説」という言葉があります。

性善説は、人は元々善人として産まれてくるのだという考え方

性悪説は、人は産まれながらにして悪人なのだという考え方

ですね。

元は儒教方面から派生した考え方らしいですが、私は歴史も宗教もてんでダメなので独自見解でいきます。

 

このどちらが正しいかというのは、人によって答えは結構バラけるんじゃないかなと思ってます。あなたはどちらが正しいと思いますか?

私はふと考えてみて、どちらもあると思ったんですよね。普通に過ごしていてなんの理由も無く他者に害を与えることは無意味だから、そんな非合理的なことはしないのが自然だという意見。一方で、人間だって動物なのだから本能的に自分が生き残るためには他者を蹴落とすのが当たり前だという意見。

 

でももう少し思考を進めると、そもそも「善」「悪」とはどうやって区別するんだという疑問にもぶち当たると思います。「人を殺すこと」は基本的に悪ですが、自分や自分の大切な人を殺そうとしている人を殺すことは善のように思えます。正当防衛ってやつですね。また、戦国時代や戦争下においては人を殺すことが正義という価値観もありえます。

 

つまり、同じ客観的事実でも、何が善で何が悪かはその時代ごとの価値観に左右されるものにすぎないのです。ですから、人は生まれながらに善人か悪人か、決まっているわけがないのです。表題に対する私なりの答えは以上です。

 

ここまで読んでくださった方、お疲れさまでした。そしてありがとうございました。

 

以下は蛇足です。

即ち善人か悪人かは後天的に決まるということになりますが、後天的にどちらに転ぶかは「教育」によって決まると思います。生まれたときからやってはいけないことをしっかり教えられて大切に育てられてきた子はきっと善行を重ねる善人になるでしょう。生まれたときから銃を持たされ、目の前の人間を撃ちまくるように教えられた子はきっと誰彼構わず害を与える悪人になるでしょう。

 

以下は更に余談です。

私は昔暇なときに、Yahoo知恵袋で答えられそうな質問に片っ端から答えていくという善行を重ねていた時期があったのですが、その中で次のような質問を見つけました。

「もしも今の日本から人を殺すことを処罰する規定がなくなったら、どうなるのでしょうか。」

これはなかなか興味深かったですね。質問主は質問というより議論がしたいだけのような気がしますが。

私は、規定がなくなったからといって直ちに誰もが周りの人間を殺しまくりのアナーキー状態にはならないと思うんですよ。その理由は先程も述べたとおり、人間の善悪は教育によって決まると思うからです。それまでずっと人を殺してはいけないという教育を受けてきた人間が、ある日突然人を殺し始めるとは考えにくいです。ただ、教育が不十分な人間は必ず一定数存在すると思うので、そこから殺人が広まっていくと思います。周りの人間が殺され始めれば誰もが自分を守るために疑心暗鬼になり、殺されるかもしれないなら先に殺すしかないという思考にたどり着くと思います。こうやって書くとチープなデスゲームもののマンガみたい。

 

今度こそお疲れさまでした。