氷解

日々の思考を垂れ流すゴミ箱

人生の選択

人生は選択の連続である。

今日の昼飯は何にしようか、週末はどこへ出かけようか、といった日々の小さな選択から、進路はどうしようか、付き合う相手はどんな人がいいか、どんな家を買おうか、といった人生を左右する重大な選択まで様々である。

 

 読者の方々は選択肢の中からこれだというものを選択するとき、どのように決めるだろうか。私は優柔不断を理詰めで克服するような性格の持ち主なので、日々の大体の選択は消去法によって行われる。

昼飯は外食するのもだるいし、家で済ませよう、料理は面倒だし残り物もないからインスタントかな、カップラーメンていう気分でもないし…。そうだ、冷凍食品がいくつかあったな、どれどれ…お、これはあんま食べたことないやつだなといった具合である。

 

 消去法は良いことか悪いことか?答えは「どちらでもある」。消去法の良い所はすべての選択肢をじっくり吟味し比較し、今の自分にとって最も合理的な選択肢をつかみ取ることができる可能性が高い。実に私好みである。

 しかし消去法の良い所は、そっくりそのまま悪い所にもなり得る。すべての選択肢を考慮するのはときに膨大な時間を要する。また、すべての選択肢を詳細に比較するのはときに優劣のつけがたい、あるいは同じ次元で比較できない要素を無理やり順位付けしようとする嫌いがある。そして最も悪い所は、それだけの苦労をして選択したものが自分にとって好ましいものである保証はなく、ただ「好ましくない要素が少ない」だけということである。

 

 そして消去法がふさわしくない場面というのは必ずあって、それらは人生を左右する重大な選択であればあるほど多いように感じる。あなたは無数の進学校の中から自分の進学先を選択するとき、すべての学校を吟味するだろうか?就職するとき、すべての業界を検討するだろうか?結婚相手を探すとき、地球上のすべての異性を比較するだろうか?答えはNOである。確かに無数の選択肢からある程度絞り込みをかける際に、まず消去法でふるいにかけることはあるだろうが、残った選択肢の中からこれというものを選ぶときには、欠点を比べるのではなく好ましい所を見つけ出す方針に切り替えるべきだ。

 なぜなら人生を左右する重大な選択というのは今日明日でその効果を実感するものではなく、数年あるいは数十年にわたって付き合っていくものだからである。その長い月日のうちに、自分の選択を悔やむ日が来るかもしれない。その時に、自分の選択肢に単に悪い所が少ないというのでは後悔はぬぐえない。多少悪い所があったとしてもそれを上回る良い所があると積極的にとらえられるような選択をした方が絶対にいいと私は考える。

 

だから私は、人生を左右する重大な選択においては優柔不断にならず、直観で選ぶことも大切だということを忘れないでおきたいと思う。