氷解

日々の思考を垂れ流すゴミ箱

Vtuberの本質について考える

1、Vtuberの本質とは何か?

こんにちは、ヒグラシです。

先日(と言ってもかなり前ですが)、Vtuber事務所に関するとある記事を読みました。

今日はこの記事から考えたことについて書いていこうと思います。

先に、参照記事のリンクを下に貼っておきます。

gendai.media

 

まあ記事タイトルからしてあまりよいニュースではないわけですが、私はVtuberが好きなので、つい気になって最後まで読んでしまいました。

上記記事は前後編になっており、内容も経済学に寄っているためなかなか読むのに抵抗感を覚える方もいるかと思いますが、私がこの記事で最も感心したのは、

「VTuber事務所は、キャラクターの”ガワ”、つまりイラストの権利を押さえているため、Youtuberや芸能事務所と違って、独立されたり引き抜きされたりするリスクが乏しい」というナラティブが既に市場では機能しなくなっている、という指摘です。

分かりにくいと思うので私なりの理解で噛み砕いて説明すると、Vtuberが生まれた黎明期においては、「VtuberをVtuberたらしめているのはいわゆる”ガワ”である」という考えが少なくとも経済市場においてはメインストリームであったため、投資家がYoutuber事務所や芸能事務所を投資対象とする際の懸念点である、所属インフルエンサーが抜けることで事務所の魅力が低下するおそれがVtuber事務所にはないことが強みとされていました。

なぜならば、Vtuberは中の人(演者)が”ガワ”を演じるが故にそのVtuberたり得るのであり、”ガワ”が使えなければ一切の活動ができないのであるから、”ガワ”の権利を持っている事務所とそれを演じる中の人の関係性は切っても切れないものとなるためです。

 

しかし、蓋を開けてみると、視聴者が求めるVtuberの本質は、全くの逆でした。

Vtuberにおける”ガワ”とは、あくまで中の人をよりキャッチーで親しみやすい存在として捉えてもらう初めの第一歩としてのツールにすぎないのであり、視聴者は”ガワ”を通して中の人を見ているのだということです。

 

それはつまり、Vtuber事務所は仮に”ガワ”に関する権利を持っていたとしても、中の人が抜けてしまえば、そこには何の価値もなくなってしまうということを意味します。また、中の人は仮に”ガワ”を利用する権利を失ってしまったとしても、それまで活動してきたことによって視聴者に知ってもらった自身の内面を、そのまま次の”ガワ”を通して発信していくことができるのであり、結局のところYoutuber事務所や芸能事務所に所属するインフルエンサーたちと本質的には何も違わないということです。

 

記事の中では、現に事務所所属のVtuberが卒業したとしても、いわゆる転生後のVtuberが視聴者からの根強い人気を維持しているという事象が多数観測されていることを紹介しており、世間的にもVtuberをVtuberたらしめているのは紛れもなく”中の人”であるということが明らかになったということなのだと思います。

 

2、Vtuberの本質に関するほかの具体例

私としては、Vtuberの本質が”ガワ”ではなく中の人にあるという点は、何も昨今のVtuber卒業、転生ラッシュの現象が観測されるよりも前、Vtuber業界の走りの時期から、いくつかの事例で観測されていたように思います。

 

その具体例の一つとして挙げられるのが、「ゲーム部プロジェクト」です。

www.youtube.com

 

ゲーム部プロジェクトは、4人のキャラクターが架空の部活「ゲーム部」としてYoutuberチャンネルを運営しているというコンセプトのVtuberグループで、主にVtuber黎明期といえる2018~2019年ころに活躍していました。詳細は省きますが、このチャンネルは、運営側とのトラブルにより、Vtuber全員の中の人(演者)が交代する事件が起きました。

Vtuberの引退・卒業自体は当時からいくつか事例はあったと思いますが、ゲーム部が特徴的であったのは、その運営会社である株式会社Brave groupが、Vtuberの”ガワ”はそのままに、新しい演者に交代をしたという点です。

そのため、ゲーム部の4人は2019年に全員が2代目声優に後退して以降も、引き続き活動を続けていたのですが、視聴者数の低迷は著しく、翌2020年に事実上の解散となりました。

この結末は、要するに視聴者が魅力を感じていたのは、あくまで”ガワ”を通して発信される中の人たちの個性から形作られる「ゲーム部」の雰囲気だったのであり、中の人が代わった場合、それは全くの別物だということを如実に表していたように思います。

 

私がここから面白いと感じたのは、Vtuberの演者交代は、アニメの声優交代などとは本質的に異なるということです。声優は、アニメキャラクターという”ガワ”、役割があらかじめ決まっている中で、それになりきって演じるものであるため、”ガワ”の方が主軸ですが、Vtuberは中の人の個性を発揮し、それをエンターテインメントに昇華するコンテンツである以上、中の人が主軸になるものだからです。

共通して言えることとして、キャラクターと演者のシナジーによって生み出される価値は間違いなくあるはずで、それはアニメの声優交代であっても、Vtuberの演者交代であっても、失われてしまうということはあるのでしょうが、それらは全くの別物である点は覚えておかなければなりません。

 

3、まとめ

ということで、本記事のタイトルに書いた「Vtuberの本質」がなんなのか、その結論はすでに申しあげたとおりなのですが、最後に一つ。

私が一番最初に知ったVtuberはキズナアイさんなのですが、キズナアイさんはVtuber界の先駆者として、ニュース番組などでもその姿を見かけることがありました。その中で、ある番組の女性ニュースキャスターの方(詳細を忘れてしまったので、もしわかる方がいらっしゃったら是非教えていただきたいのですが)が、「Vtuberは自分の理想の姿になって活動することができるツールということですね。そして、誰でも好きな姿になれるということは、それで何を発信していくかという内面の部分がより一層見られることなのかもしれません。」といった発言をしていました。当時も、「この人はVtuber文化にほとんど触れたことがない方だったろうに、ちゃんと本質的な所を理解していてすごいな」と思った記憶がありますが、それを再認識した出来事でした。